第12代会長・鈴木康之氏就任挨拶
会員のみなさまへ
この度、7月15日の総会において、会員の皆様から承認をいただき、会長を 拝命いたしました。諸江昭雄前会長(現名誉会長)を始めとする諸先輩が築いてきた武蔵野稲門会を引き継がせて頂きます。 社会の変化、コロナ禍が続いたことによる、会員の減少と高齢化が、どの稲門会でも喫緊の課題になっております。直ちに取り組まなければなりません。 ですが、私は悲観はしておりません。 総会で、私は、相馬御風の一文を引用いたしました。 「しかし母校への私の思慕は常に若々しい」 実は、そのとき読まなかった部分にも御風の言葉を 入れていました。 「荘重にして雄渾、爽快にして明朗」 これは、校歌「都の西北」を作曲した東儀鉄笛への讃辞です。しかし、これこそ、曲のみならず、時代、世代、 情況を超えた、すべての誇り高く、品位あるワセダマン・ワセダウーマンの姿そのものではありませんか。 武蔵野稲門会には、母校・早稲田大学への熱い思いを 抱く、「荘重にして雄渾、爽快にして明朗」なる校友諸兄諸姉が集まっております。校歌の掲げる理想を仰ぎ、結集している会が、隆盛に向かわない訳はありません。いや、断じて発展させなければなりません。その大きな可能性を少しでも引き出すことが、私に与えられた責務と重く受け止めております。 御風がライフワークとして研究したのは、近世の宗教者・詩人である良寛です。良寛とその世界を理解する重要な言葉の一つに「灰頭土面」があります。「灰を頭からかぶり顔は泥まみれになって、地を這っても人のために率先して尽くす」の意味のようです。 思いもかけなかった会長就任にあたり、瞬時に胸中を駆け巡ったのは、御風にまつわる一連の言葉でした。御風と、彼が校歌に込めた母校への思慕という理念を前にして、退くことは出来ないと覚悟を決めました。会員150余名の手足として、灰頭土面となって職責に立ち向かう所存です。よろしくお願いいたします。 最後になりましたが、東京六大学野球・春季リーグ戦、7季ぶり47回目の母校優勝を皆様と共に喜びたいと思います。 そして、なによりも、きびしい残暑が続きます。会員皆様方のご健安とご活躍を衷心よりお祈りいたします。
第11代会長 諸江昭雄 (昭38・法)
会長からみなさまへ
武蔵野稲門会のみなさま、夏休みは楽しくお過ごしになられましたでしょうか。 異常気候が続きますと異常が当たり前のような錯覚に陥ります。せめて私共が個人レベルで省エネを実践して地球温暖化を防ぎ、孫子の代の地球を守る努力を重ねたいものです。
さて、私も会則による2年間の会長任務を終えて一息つこうと考え、後任を役員仲間に諮ったのですが夫々事情があり、役員推薦により2期目の会長をお引き受けいたしました。 引き受けたからには、会員のみなさまが元気で楽しめる稲門会にしようと気持ちを引き締めております。
旧会則の「委員会制度」は委員会設置による職務の明確化と平均化、従来の縦型役員会組織のフラット化、効率的な会務運営等を目指したものでしたが、幾つかの成果はあったものの現実の同窓会運営には人材不足等困難な壁が立ち塞がり、その結果現実に即した会則変更を総会に提案しご承認を頂きました。
武蔵野に根差し、都の西北を愛し、君も早稲田か!と集まり散じる武蔵野稲門会にみなさまのご支援とご協力をお願いします。 感謝合掌
コロナ禍支援ご寄付に関するご報告2
(2020/5/24)
武蔵野稲門会の皆さまへ
◇コロナ禍学生支援ご報告
5月22日までに、会員の皆さま41人から50万円を超すご芳志をいただきました。ありがとうございました。 第1回として、23日に早稲田大学サポーターズ倶楽部へ「新型コロナウイルス支援」寄付50万円を送金いたしました。 取り急ぎ、お礼とご報告を申し上げます。
引き続き、皆さまからのご支援をよろしくお願い申し上げます。
武蔵野稲門会 会長 諸江昭雄
コロナ禍支援ご寄付に関するご報告1(2020/5/18)
武蔵野稲門会の皆さまへ
書面総会の資料送付の際にお願いしたコロナ禍支援のご報告です。
昨17日までに、会員の皆さま23人から計34万円のご芳志をいただきました。ありがとうございました。 まず、今月末に早稲田大学 サポーターズ倶楽部へ寄付いたします。 取り急ぎ、お礼を申し上げます。 会長 諸江昭雄
別件: NHK連続テレビ小説『エール』 今日18日(月)から第8週「紺碧の空」です。お見逃しなく。 https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_08.html 平日朝8時~。再放送12時45分~
「武蔵野稲門会35年の歩み」発行に向けたメッセージ
山内 巌 前会長(第10代:2012-2015) (昭43・理工卒)
創立30周年記念事業として「早稲田大学グリークラブin武蔵野」演奏会を開催し、2013年には直下型地震による被害想定をテーマに母校の濱田教授による講演会を行いました。
大変だったのは東京三多摩支部の支部長を引き受けたことです。三鷹稲門会とともに主幹稲門会を務め、取り纏めを担当しました。諸江現会長のご尽力により、三多摩支部の再編を三鷹稲門会と共に方向性をつけることができました。
諸行事は多くの皆様に助けられ3年間を無事に務めることができました。会員名簿も発行することができましたが、会員の高齢化や、新規会員の増加の難しさも痛感しています。新会員の獲得に皆さまのお力添えをお願いします。
谷内 隆衞 元会長(第9代:2009-2012) (昭33・法卒)
ある日の幹事会で秋本澄子さんから「グリークラブを呼びませんか」との発言がありました。かねて武蔵野稲門会を市民にPRする機会をと考えていた私は、合唱団に詳しい星田さんにグリークラブとの折衝をお願いし、開催日の2012年11月は私の会長退任後のため、自ら実行委員長を志願しました。
指揮官先頭をモットーとする私は、プログラムの広告取りと市内中小学校、女学校へのチケット売りに飛び出しましたが、会員・市民へのチケット販売を分担してくれた幹事さん達の意気込みはものすごく、開催日10日前には当日売り分にも食い込んで、武蔵野市民文化会館大ホールの1350席全部を売り尽くすことができました。
広告掲載収入も当初の目論見を大幅に超過し、東北大震災義援金30万円を市を通して寄付。翌年の母校・濱田政則教授「首都直下地震にどう向き合うか」講演会費用も十分に賄えました。
轟 常彌 元会長(第8代:2006-2009) (昭30・法卒)
昭和58年、旧武蔵野商工会議所にて「産声」を上げた武蔵野稲門会は当初、10数名の会員でした。
平成10年前後に、校友会の方針もあり、全国的に稲門会再編・強化の波が打ち寄せました。多摩地区では「三多摩稲門連合会」が東京都23区支部から分離・独立し、「東京三多摩支部」が誕生しました。
武蔵野稲門会もこれに呼応して、三多摩地域の各稲門会との積極的な交流が始まりました。四季を通して活発な事業交流も年々増加し、他大学校友会とのつながりも出来つつあり、校友とのつきあいも活発になりました。
早稲田大学のますますの発展とともに、校友会の進展をお祈りしています。
小美濃 隆 元会長(第7代:2004-2006) (昭31・法卒)
昭和50年頃だったと思いますが、副会長をされていた平野さんが入会勧誘のため自転車で市内を廻っておられ、入会。その後、代表幹事などを経て私が会長に就任した際、会費繰越残高が僅かだったので年会費を2000円とし、ポスティングによる郵送費削減事務経費の見直しなど財務改善の措置をとりました。
稲門会では色いろありました。ある年、総会の講演者として台湾出身幹事から大沢悠里さんを知っているとのことで進めていたところ、直前になって実は日大出身、毒舌で知られる毒蝮三太夫さんだと判明。前田会長以下、大慌て。結局は毒蝮さんやむなしということで、総会当日は心配しましたが、毒蝮さんもさるもので、早稲田受験に失敗したとか、うまく話をまとめてくれました。