多磨霊園・中野正剛先生墓参記掲載
*武蔵野稲門会 会員の活躍をご紹介します。
(内容について武蔵野稲門会がコミットするものではありません)
◆多磨霊園・中野正剛先生墓参記(平成27年5月26日)
~天下一人を以て興る~
早稲田の先哲・中野正剛の大演説
戦時下の昭和17年(1942)11月10日午後3時から2時間半にわたり、大隈講堂の3千人を超える学生を前に中野正剛は演題「天下一人を以て興る」の講演を行った。演説の最後をこう締め括った、「日本の巨船は怒涛の中にただよっている。便乗主義者を満載していては危険である。諸君は自己に目醒めよ。天下一人を以て興れ。これが私の親愛なる同学諸君に切望するところである。」学生達は起立して校歌「都の西北」を合唱してこれに答えた。この年中野57歳、第21回総選挙・非推薦で最高点当選したが、戦況はミッドウェ―海戦、ガダルカナル攻防戦(欧州ではソ連・スターリングラード市街戦)と守勢に廻りつつあり翌年、3年生は入営、2年以上は学徒出陣繰上げ卒業となり、軍隊に入った学生の多くはその生命を戦場で失うことになる。この大演説から一年後の昭和18年(1943)10月21日、早稲田大学創立記念日に当り明治神宮学徒出陣式の朝、東條内閣の倒閣を謀ったとして警視庁特高に連行され24日まで東京地検思想部の取り調べを受けた。当時の東京地検には東條首相の強権行使に反対の空気も強く、証拠不十分で不起訴を決定したが東京憲兵隊は25日午前4時半憲兵隊に連行し自白を強要、ガダルカナル他戦局の流言を広めたとして午後6時に東京憲兵隊では自白したと言って東京地検に身柄引き渡しを行ったが、東京地検は流言蜚語罪では現職議員の身柄拘束不可として帰宅を認めた。ところが翌26日午前5時頃、増田特高警部に見送られて警視庁玄関を退出すると待ち受けた東京憲兵隊の車に拉致された。午後2時まで取り調べを受け3時に憲兵曹長と補助憲兵の監視の下帰宅、27日午前零時憲兵二名を隣室に置いて感付かれぬまま左頸動脈一突きで間もなく絶命した。10月27日は奇しくも吉田松陰が小塚原処刑場で斬首された日にあたる。「俺は日本を見ながら成仏する。悲しんでくださるな」書置きにあった言葉である。(中野正剛四男泰雄氏著書「父・中野正剛」に記された中野の最後である。)
ミレニアムの年、奥島総長は卒業生に与える辞において中野正剛を取り上げ、先の見えない今こそ早稲田の出番である!「一人を以て興れ」と檄を飛ばした。熱い感動を呼んだものである。思うに、先の大戦で権力に逆らった早稲田出身の政治家は多い。国会議事堂で反軍演説を行い議会から追放された斉藤隆夫、中野、鳩山と共に翼政会を脱会した三木武吉など挙げればきりがない。中野正剛は尊敬する大塩平八郎、西郷南洲に倣って反権力の生涯を閉じた。
(諸江昭雄 記)
<墓参参加者>南丘喜八郎(早稲田精神昂揚会OB、月刊日本主幹)、片岡冬里、小野沢純一、諸江昭雄、(武蔵野稲門会)鴛海量良、大上 保、川面忠男、柴田弘道、長野長正、田原稔夫、輿水 敦(稲酔会)以上11名 <稲酔会参加者>総勢 22名 於:戎ビアホール




